2019.8.24〜26自転車の旅④
夜明けと共に出発。
昨日からの膝の違和感が、間違いなく痛みに変わっている。
お尻の痛さも重なって辛いスタートとなった。
今日は戸倉峠を乗り越えたら何とかなる。
朝はまだ涼しかった。
スイスイ進んで(亮介くんは。私は膝痛との戦い。)、気づけば戸倉峠の登りに差し掛かっていた。
少しずつ休憩はしていたけど、予想外にそんなにしんどくなかった。
アドレナリンが出ていたのか、膝の痛みも少しマシになっていた。(気がする)
戸倉峠の下りは寒かった。
まだ夏やのに道の温度計は18度。
時間が早かったので帰りに大屋スキー場に寄ってみた。
スキー場に向かう市の境の峠が結構しんどかった。
平日にも関わらずキャンプのお客さんがいっぱいいた。
家まで直行!
亮介くんはスイスイ漕ぐけど、私は家まであと5キロくらいのところから膝が痛すぎて悲鳴を上げながら帰った。
家の手前で火照った体を川で冷やした。
お昼過ぎに家に着いた。
そういえば昨日の夜実家に帰っていた妹から『ヤックル(16歳くらいのおばあちゃん犬)が歩けんようなっとる』
との連絡が来ていた。
帰って急いで小屋まで行くと、ヤックルは小屋の中にいた。
いつもは帰ってきて名前を呼んだらこっちを向くのに、顔もあげられない。呼吸がおかしい。
今までも何度も『ヤックル、今年の夏は越せんかもなあ』『今年の冬は越せんかもなあ』と言いつつも、何やかんや復活していた。
だけど、こんなしんどそうなヤックルは初めて見た。
30分おきくらいに様子を見に行った。
しんどそうで見ていられなかった。
後から思うと最後に見たあの呼吸は死戦期呼吸だったんだと思う。
15時頃見に行くと静かに眠っていた。
しんどかったね。
楽になれて本当に良かったね。
ここ数年は後ろ足が悪く、まともに歩ける状態じゃなかった。
それでも、鎖を外すと家の周りをうろうろ歩いたりしていた。
愛想がよくてお母さんのコロに似た可愛いヤックルだった。
私たちが帰ってくるのを待っているかのように亡くなった。
たまたまやろうけど。
こんなしんどいのに最後まで飼い主思いのいい子だったなあ。
猟犬としてもしっかり働いてくれていたヤックル。
山で散歩するのが大好きだった。
後日家の裏山の頂上に少しだけ骨を埋めておいた。
これからは空の上からみんなを見守っていてね。
2019.8.24〜26自転車の旅③
改めて自分はいつもラッキーだなと思う。
困った人がいたら助けようと改めて心に誓った。ペイフォワード。
湯原温泉からの峠越えは究極だった。
人形峠なんて可愛い名前しながら恐ろしいものだった。
暑くて喉がカラカラになって水分とって、漕いだ瞬間汗になって全部出ていく感じ。
すぐ喉が渇いて水分とって、、、の繰り返し。
『この先急登やって!それ登り切ったら登り終わりかな!』
こんなやり取りを何回繰り返したか。
今までの峠の中でベスト3に入るしんどさだった。
やっと峠の頂上まで来て下れるー!と思ったら、今度は辰巳峠に向かう登りが始まった。
暑さと疲労とでヘロヘロ。
しかも民家の少ない道を通ってきたからコンビニどころか自動販売機すらない。
飲んでも飲んでも喉が乾くから、飲み過ぎてしまったのか水分があとわずかになっていた。
溝に流れる用水路の水でさえ飲みたいくらい。
『恩原高原まで行ったら何かあるかも』
微かな希望を抱えて歩いていたが、着いたら昔は栄えていたのだろうスキー場宿は廃れ切っていた。
あ〜こっから先も民家は無さそうやしどうしよう〜。
そんなことを考えながら自転車を押していたら気付けば後ろから歩いてたはずの亮介くんがいなくなっていた。
朦朧としながら歩いていると辰巳峠についた。
日陰のアスファルトに大の字で寝転んで亮介くんを待った。
暑い、暑すぎる。
しばらくすると亮介くんが歩いてきた。
『どこ行っとったん?』
『スキー場の方まで自動販売機探しに行っとった。はい。』
と、コーラとアクエリアスを買ってきてくれた!感激!
水分補給して、こっからは下りの爆走!
登りは本当に長かったのにあっという間に下っていく。
すごい斜度の坂で、反対から登ってこんでよかったと思った。
汗びっしょりの体に風が気持ちいい。
今日は河原まで、あわよくば道の駅はっとうまで行けたらとのことだった。
意外と時間が早かったのでもう一峠越えて河原湯谷温泉へ向かった。
背中もお尻もめちゃくちゃ痛かったし、この峠で膝の違和感が出てきた。
梨農園が沢山あり、段々畑に数え切れないほどの梨の木が植わっている。
峠を下ったところで、
『あれ?何か見たことある景色!』
そう、前回の自転車旅(豊岡〜大山)の時に通った道だった。
懐かしいな。
温泉はこぢんまりときていたけどとても気持ちよかった。貸し切り。
お昼ご飯もまともに食べてなかったのでお腹はペコペコ。
清流茶屋かわはらで食べた焼き肉定食の美味しいこと。
もう少し一踏ん張りして道の駅はっとうまで辿り着いた。
なんかテント歪んでる。
2019.8.24〜26自転車の旅②
日の出前に出発。
1、2台車を見ただけで、人の気配はどこにもない。
まだ町は寝ている。景色は真っ暗だ。
しばらくすると峠の麓にきた。
『通行不可』となっていた。
前回チャリで旅した時も車は通行不可だけどチャリは通れたので『通れますように』と祈ってそのまま突き進んだ。
案の定、土砂崩れの工事はほとんど終わっており問題なく通れた。
夜が明けかけていたころに峠の頂上に着いた。
空が焼けている。
何とか麓から自転車降りずに漕ぎ切れた。
『やったー!!!』
と調子に乗っていたのも束の間。
『あ〜目の下かゆっ!』
と思って、下りの爆走(細い林道で小石がいっぱい落ちていた)の途中に一瞬片手を離して顔を掻いた。
『ガタン』
あれ?何か踏んだ?
そう思った瞬間終わった。私のタイヤさん。
私の前輪さんががかわいそうなほどペチャンコになっている。
あんなに登り頑張ったのに。
目の下なんか掻かんかったらよかった。
後悔先に立たず。
過ぎ去ってしまったことをぐちぐち言っても仕方ないのは分かっているけど、この峠を下りきったら今回の目的地、湯原温泉に着いていたと思うとぐちぐち言わずにはいれなかった。
おそるおそるブレーキをきかせながら自転車に乗ったり降りたりしながら湯原の町まで降りてきた。
自転車屋さんやホームセンターを検索するも少なくとも10キロ以上は離れている。
自転車なら30分ほどで行けるが、歩くと2時間くらいはかかる。
それに隣町まで行くのもきっとまた峠を越えないといけない。
目的地まで辿り着けたのは幸いだが、悲しいかな家から一番離れた場所に今いるのだ。
自転車を置いて、電車で帰ってここまで軽トラでとりに来る?
最寄り駅まで10キロ以上?バスあるん?
岡山駅周りで行かな帰れん?
終電ギリギリで家からの最寄り駅まで着く?
最寄り駅まで親に迎えにきてもらう?
策を考えようにも全く頭が働かない。
とりあえず湯原温泉であったまろう。
途中開店前のガソリンスタンドがあった。
おじいちゃんが開店準備をしていたから『この自転車のパンク直せますか?』と尋ねてみた。
『こんなタイヤ(フレンチ)、したことないでできるか分からん。できても時間がかかりましょうで。』
ガックリ。
はあ〜最悪最悪最悪!最悪!!とぶつぶつ文句を言いながら温泉についた。
既にたくさんの方が入っている。
ここはダムの目の前の河原にある無料で入れる露天風呂なのだ。
清々しい気持ちで入る予定だったのに…。
入る前自転車押して歩いてると観光客のご夫婦とすれ違った。
『自転車で旅してるんですか?どこから来たんですか?』
亮介くんが何か色々話してる。放心状態の私はボケーっとしていた。
温泉は裸のおじさんがほとんどで、私も入る気満々だったけど、さすがにこんだけ人がいると入りづらい。
足湯だけしてたけど、気持ちもどんよりしてるしスッキリしないので、タオル巻き巻きで何とか入った。
なかなか熱くていい湯だな。
さっきのご夫婦が戻ってきた。
『地元の方に聞いたんですが、もう少し行ったところにガソリンスタンドがあって、そこなら直してくれるかもしれないです!』
亮介くんがパンクの件を一部始終話していたみたいで、気にかけて戻ってきてくださったのだ。
『さっき来る途中に寄ったんですけどダメかもって言われました』
そう答えた。
ご夫婦の優しさが身に染みて、何だかちょっとほっこりした。
お風呂から上がって、とりあえずダメ元でもさっきのガソリンスタンドに戻ってみた。
朝声をかけたおじいちゃんはいない。
出勤してきたおじさんに一部始終を話した。
『フレンチ式はやったことないけど、原理は同じですよね?空気入れはあるんですか?とりあえずやってみましょう!』
希望が見えてきた!!そして、奇跡的に空気入れは持ってきていた!
慣れた手つきで作業をこなしていく。
『よし、これで空気入れてみましょうか』
ペチャンコだったタイヤがどんどん膨らんでいく。
すごい、パンクが直った!
『この辺りのママチャリや通学のチャリは直しているんで』と、いつも通りのことですと言わんばかりに、少し照れ臭そうに言っていた。
ありがとうございます!
本当に感謝してもしきれないとはこのこと!
空気のあるタイヤの何と幸せなこと。
油断せずちゃんとパンク修理キットを持ってかないといけないな、と反省した。
そして、その辺の準備を亮介くんに任せきっていたことも合わせて反省した。
2019.8.24〜26自転車の旅①
週末の天気予報が気になる。
8月前半の天気とは打って変わって盆過ぎてから雨天が続いていた。
金曜の夜、やっと行き先が決定した。
湯原温泉、片道140キロ。週末は晴れだ。
少し遅めの出発。
出発早々冨土野峠の急登に苦戦するも全部登り切れた!
何度も通っている道だけど車以外で通るのは初めて。
しかも登り切れた。何とも感慨深い。
下りは爆走!寒いくらいに涼しかった。
志引峠の急登を通り越すと岡山に入った。
ひたすら続く作州街道のアップダウン。
これなら大きい峠を越える方がまだマシだ。
思わせぶりな態度の坂ばっかり。
登り切ったーと思って下ってもすぐに登る。
雨がポツポツし始め休憩がてら夕食に津山のホルモンうどんを食べた。
疲れた体に染み渡るソース。美味しかった〜
この辺りでテント張ってもよかったが、もう少し進むことにした。
途中で鏡野温泉に立ち寄った。
小ぢんまりとした温泉だったけど、温泉のおばちゃんや地元の方がとても優しかった。
何よりぬるぬるの泉質がすごく気持ちよかった。
また来たい温泉。
もう少し進んで上野PAの原っぱにテントを張った。22時を過ぎていた。
蚊だらけで刺されまくりながら寝た。
2018/6/2-6/3 赤谷山その他もろもろ
今回もいつもと同じだと思っていた。
『赤谷(あかたん)山って剱岳の展望がめっちゃいいらしいで。日帰りの山みたいやけど、片道5時間くらいやしどっかでテント張ってゆっくりするのはどう?』
『へ〜いい感じやん。そこにしよ。』
軽い気持ちで赤谷山に行くことにした。
金曜の夜に家を出て夜中の1時半くらいに馬場島に着いた。
すぐにテントを張って、片道5時間なら8時出発くらいでいいだろう、とゆっくり寝た。
翌朝起きて準備して、いざ出発!
登山口に向けて歩いていると、山菜採りのおじさん2人に出会った。
片方のおじさんは数年前に赤谷山に登ったことがあるらしい。
『そりゃあ、えらかったで!草取り(山菜採りのこと)なんか比べもんにならんわ。でも、剱がすぐそこにみえるでええぞ。』
それを聞くだけでわくわく!
が、しかし、次の週末に控える残酷マラソンに向けていつもは持ってこないカメラの三脚やら、トレーニングのために荷物をたくさん持って来たおかげで、足取りは軽やかとは到底言えない。
すぐに前を歩いていたおじさんを見失った。
取水堰堤が登山口。
らしきところに来たが登山道が見つからない。
『あ、ここに矢印あるで』
赤いペンキでコンクリートに池谷山と書いてあった。その矢印に従った。
登山道は最初からなかなか険しかった。
道は細く、草が無造作に生え、人はほとんど歩いていなさそうだった。
マイナーな山やから、やっぱり来る人少ないんやなあ、なんて言いながら進んでいった。
1時間ほど歩いたところで雪渓に出た。
が、雪渓に出た途端それまでわずかながらも目印のピンクテープや危険箇所の回避のためのロープがあったのに、パタンと途絶えてしまった。
人の歩いた形跡が見つからない。
地図を見ても分からない。
分かることは本来なら北東に進むべきところが、真東に向かっていること。
藪漕ぎを続け、それらしき道を探した。
1時間ほど迷子になったが、わからないので結局雪渓を稜線まで詰めて行くことにした。
ちょうど見えているコルのところがブナクラ峠だと信じて進み始めた。
コースタイムでは戸倉谷出合から1時間半ほどでブナクラ峠となっている。
雪渓の上には石や土がのっていて意外と歩きやすい。
大きなカッコいい岩が雪渓の脇にあって亮介くんが見に行った。
最短ルートで直上したかったが、とりあえず同じ方について行った。
『結構簡単そうな岩やわ』
そんな話をしていたところだった。
『ゴロゴロゴロゴロ!!!!』
斜面の上を見ると人間ほどの大きさの石がこちらに向かって来ている!
とっさの判断で近くにあった岩の陰に隠れた!
亮介くんは隠れずそのままだった。
『バーン』
私の隠れていた岩に落ちて来た石が当たって背中ギリギリのところを通過し、バウンドして下まで落ちて行った。
亮介くんは奇跡的に何も当たらずに済んだ。
『やばいやん!今の当たったら怪我どころじゃなかったで!』
『うそ?!てか、めっちゃ怖いんやけど!!』
そんなことを話していたらさっきよりも更に大きな音が上から聞こえて来た!
『ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロー!!!!!』
岩の陰に2人そろって飛び込んだ!
その瞬間数え切れないほどの大きな石や砂や砕けた小石たちが頭の上を通過して行った。
石と石がぶつかって火花のような匂いがした。
背中に小石がいっぱい当たった。
どうしたらいいかわからなくて手も足もガクガク震えていた。
とりあえず脇の小高い稜線状になっているところに上がった。
ここなら大丈夫だろう。
『どうしよう〜あんな岩が落ちて来たら死ぬやん。たまたま岩があったから良かったけど、雪渓の上そんな走れんで』
それまで、カラカラと小さな岩の落石はあったけど、崖の下だけで、真ん中を歩いている分には問題ないと思っていたが、真ん中さえも危ない。
とりあえず、となりの谷に移ってそっちを歩くことにした。
雪渓が綺麗だからきっとさほど落石もないはず。
歩きやすいと思っていた土や石がかぶさった雪渓は落石のためだったんだと思うと、チンタラチンタラ歩いていた自分たちにゾッとした。
本当に危機一髪のタイミングだったと思う。
雪渓はどれだけ上がっても先が見えない。
運がいいのか悪いのか、昼からはガスがかかっていて真っ白で先が見えない。
高度が上がるにつれて斜度が急になっていく。
前の見えない頭上から岩が落ちて来たらどうしよう?滑ってこの雪渓の下まで落ちてしまったらどうしよう?
そんなことを考えていると、もしかしたら今すごく危ないことをしていて、もしかしたらとても死に近いのではないかと思えて来た。
となりの谷ではまた落石の音が地面をつたって伝わってくる。
もしかしたら死ぬんじゃないかと本当に思えて来て、怖すぎて涙が出て来た。
まだやりたいことがあったのに。やらなきゃいけないことがあったのに。
親や周りの人に迷惑がかかってしまう。
それでも亮介くんはいつも通りだった。
『何かあったら助けてあげるから、もうちょっと頑張り。今もう(標高)2000メートルやで稜線もあとちょっとやで!』
『助けるって、さっきみたいな岩が落ちて来たら2人とも死ぬやん!助けれるわけないやん!』
怖かったけど、稜線に上がる以外ここを抜ける方法はない。
明日の下山道はどうするかは稜線にでてから考えるしかない。
何とか高度を稼いで行った。
気付くと空が晴れて来た!
『あ!稜線!』
やっと空が見えた!
看板か何か分からないけど、キラリと光るものがコルに見えた。
とりあえず助かったと思った。
落石の恐怖がこんな怖いものだと思ってもみなかった。
コルまで行くと光っていたのは誰かが落としたピッケルだった。
その横にお地蔵さんがいた。
やっと人の気配を感じ、安堵の念が溢れてきた。
こんなに怖い山は今まで(ボリビアのイリマニを除くと)なかったように思う。
お花畑が広がっていて天国のようだった。
携帯でGoogleのGPSを見ると"池谷山"と近くに書いてあった。(谷の中では電波もGPSも全く入らなかったのだ)
『やっぱり!方角がおかしいと思ってたんや』
私たちは1つとなりの谷を歩いていたのだ。
ブナクラ峠だと思っていたのは、大窓だった。
最初の分岐の時点で道を間違えていたのだ。
あまりに地形が似ていたから何も気づかなかった。
とりあえずそうとわかれば、当初の目的である赤谷山に向かうだけだ。
しかし、なかなか距離がある。
ひとまず行けるところまで行ってテントを張ろうということになった。
稜線上は簡単と思っていたがそこからもなかなか辛かった。
藪漕ぎ、ノーロープ・ノーマットのクライミングまである。
昼ごはんもまともに食べていなかったから、おなかが空きすぎて力が出ない。
藪漕ぎは本当に辛すぎて、ヘロッヘロ。
行動食を食べた瞬間にエネルギーとして使われて行くのがわかった。
ルートファインディングが難しすぎて時間がかかった。
ようやくピークに立った時、下を見ると素晴らしい雲海が広がっていた。
『あ〜生きてて良かった〜』
予定では片道5時間だったが、10時間以上経っていた。
何とか白ハゲの上まで行ってテントを張った。
剱岳がこんなに近い!(今はまだガスの中だけど)
最高のテン場だった。
この時ばかりは迷子になって道を間違えて良かったと思えた。
テントを張ってご飯を食べて寝た。
すぐ眠りについた。
翌日は夜明けと共に起床。
剱岳が丸見え〜!やば〜!
昨日の疲労感は綺麗さっぱりリセットされていた。
今日も赤谷山までは藪漕と雪渓のオンパレード。
それでも、いつまでも見える剱岳、後立山、猫又山、素晴らしい景色と過ごしやすい気候できもちのいい山だった。
(天気が良すぎて帰ったら黒焦げに焼けていた)
赤谷山でコーヒーを飲んで下山した。
(赤谷山の登山道もかなりわかりにくかった)
今回久しぶりに山の中で辛い思いをした。
本当に反省点の多い山だった。
こんな山になるとは思ってなかった。
『落石注意』とか軽く思ってたけど、ほんまに気をつけなあかんなって思ったし、山を登る時には落石しないように歩かないといけないなと切実に思った。
とても運が良くて、本当にラッキーな山だった。
はあ〜生きてて良かった〜
everyday
久しぶりに日記を書いてみる。
ふと思い出したかのように2年半前に行っていた旅の記録(このブログ)をぽつぽつと読んだら、なんだかその時のことが鮮明に思い出されてきた。
文章にして残しておくことは大切なんだなと改めて感じた。
あの時の感動、苦しさ、におい、景色、感覚、、、いろんなものが蘇ってきた。
本当にキラキラしていたな、と。
文章を書くのがあまり得意でないから(語彙力ないし)、なかなかいい文章を書くことはできないけれど、そんなのは関係ない。
思ったことをただひたすら、自分のために残してみる。
最近の自分は、何をしているのやら。
毎日ただひたすら同じことを繰り返している。
悪くは無い。けど良くも無いのかな、と。
この前飛行機の中でみた『ミックス』で「平凡な毎日が幸せだったことに気付く」みたいなことを言ってたけど、確かにそれもそうかもやな~とも思いつつ。
そんなeverydayを過ごしていたら、今日久しぶりに『はっ』とさせられた。
仕事で患者さんと20分ほど話していた。
色んな薬を試したらしいがもう薬もあまり効きにくくなっていた。
癌が進行しているのだ。大腸から肝臓にも転移しているそうだ。
『あと3ヶ月、4ヶ月の命って考えてみ。余命がどれくらいか分からんけど薬が効かんようになっとるってことは、やっぱり死がもうそこまできとるんやで。やっぱり死ぬのは怖いわ。やけくそで食べたいもんばっかり食べたり飲んだりする人もおるかもしれん。わしは少しでも何か治療できるならしたいし、少しでも楽しみを見つけて生きていたいんや。今年は少し畑をしとるんや。自分で撒いた種が芽を出して花を咲かせて実になるのは嬉しいもんやで。来月孫が結婚するんや。あと1年ちょっと頑張ったら、あわよくばひ孫の顔がみれるかもしれんと思ったらもう少し頑張りたいんや。命は大切にせなあかん』
その人は言っていた。相槌を打って耳を傾けることしか出来なかった。
私が薬の説明をしていたはずやのに、人生についていろいろ教えてもらった気がした。
『ありがとうございます』と言って失礼した。泣きそうでやばかった。
自分はあの患者さんに何かしてあげられることがあるのだろうか。
自分の余命があと少しと分かったら自分は何をするのだろうか。
必ず誰にも来るその時を、自分はどう過ごしたいのだろうか。
とても難しい話。答えはまだまだ出そうに無い。
そんなeveryday。
とりあえず、昨日喧嘩?し心から腹が立った彼に「ごめんなさい」と言おうと決めた。